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アート
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ジヴェルニーに定住して以来、モネには日本風庭園の睡蓮を描いた150点以上もの連作がある。この睡蓮はその一作、連作の中でも最後期の作品である。睡蓮の花は一つだけ曖昧な形を見せているが、この花がなければどちらが絵の上か下か判らなかったであろう。睡蓮というよりも、水面そのものが描かれており、水面に写る柳の枝、空が描かれている。水面での光の乱反射を表すように青を基調とした色彩のシンフォニーが繰り広げられている。またあくまでも水面、池の一部が描かれているだけで全体は描かれていない。柳も同様である。
モネの絵、一般に印象派に属するとされる絵は、それ以前の西洋美術に対して全く異なる価値観を提供し、幾つかの点で革新的なものであった。第一に形式主義である。この睡蓮の絵のように、一見したところ主題がないようで、調和のとれた色と形の配置さえあればそれで十分美しく、観ている者を満足させる。線と色彩と視覚的調和の観点から絵を眺めるというこの見方はしばしば形式主義と呼ばれる。モネの絵画が認められる以前、絵を鑑賞するときには人物の振る舞いや心の動き、あるいは風景が描かれた場所などに興味を示すのが普通であり、歴史画こそ最も偉大な絵画ジャンルとされていた。主題と物語への関心から離れ、形に対する興味が強まり、絵画の形式主義的あるいは審美的視点を広く認めさせたという点でモネの作品は大きな役割を果たした。
第二に色彩である。当時色彩はいわゆる固有色、描くべき対象が持つ色が基本だった。光はその固有色に明暗を与え、立体性をもたらすと考えられていた。これに対し、モネをはじめとする印象派は、戸外での制作を通して、光によって色彩自体が変わることを発見した。固有色という約束事から解放され、自由で明るい色彩を用いた。
第三に筆触表現である。伝統的アカデミーの規範に沿えば完成された絵画では筆触は露わにされるべきではなく、絵画の表面は鏡のようにフラットであるべきであった。丁寧な仕上げを強いる当時のアカデミズムの教えに反して、スケッチのような筆触のよる簡略な描き方は、戸外の光の変化を描きとめる即応性があった。筆跡を残さない丁寧な仕上げの油彩画は「絵の具」の感触を残していない。しかしモネをはじめとする印象派の絵は、画面上に絵の具を見出し、描く画家の手の動きをも示している。
これら従来の伝統絵画とは異なる方向性をモネが指向した背景には当時のフランス社会の大きな変化がある。フランスの芸術は何世紀もの間国家あるいは王立の制度の中で育まれてきたが、進む工業化と経済的繁栄によって、アカデミックな絵画の他に私的な主題の絵画のマーケットが拡大し、商業的に無視できない公立の外の絵画市場が誕生した。そこでは必ずしも歴史画が好まれるわけではなく、風景画などの気取らない主題の装飾性の高い絵画が求められた。
この絵を語るためには連作の中の一作であることを抜きにしては考えられないだろう。モチーフと構図の両方を限定し、様々な時間帯、光の中で描き出すという連作の手法は睡蓮の前に[積み藁][ポプラ並木][ルーアン大聖堂]でモネは実行している。連作の概念は、芸術家のその場の体験をそのままなぞり、動きと変化を伝える。観る者は光と色彩の微妙な差異や位置や陰影のわずかな変化にいやおうなく注目し、違いを追い求め、画家がその場で何を見たのかを探すことになる。ただ、睡蓮の連作が他の連作と異なるのは、途中でモネの関心が睡蓮から水面、水面に照り映える光の効果に移っていったことだ。ジヴェルニーに定住して以来、モネの関心はモチーフではなくその「効果」の方へ移っていった。モチーフの多様さから、効果の多様さへ移行したのである。モネ自身も「モチーフは私にとってさほど重要な要素ではない。私が生み出したいのは、モチーフと私の間にあるものなのだ」と述べている。私はモネの睡蓮の連作すべてを見たわけではないが、初期のものから最晩年の作品までのシリーズをパリのマルモッタン美術館及び日本での印象派の展覧会で見る機会を得た。時代を追って睡蓮の連作を見ていくと、モネの描きたかった対象の変遷が鮮やかになる。睡蓮シリーズの初期の作品、1899年[睡蓮の池(日本の太鼓橋)]では、画面中ほどに日本橋を置き、柳、池の睡蓮を比較的濃い色調で描いていた。しかし1907年の[睡蓮]になってくると、日本橋は姿を消し、画面一杯に睡蓮が描かれ、花の色も形も曖昧になってくる。更に1907年の[睡蓮の池]になると睡蓮というよりは、水面に写る空や柳がモチーフとなっているように感じられる。そして1915年の最晩年の本作品となると、睡蓮を含めた水面への様々な反映そのものが描かれているのだ。
反映だからこそ、睡蓮の花も葉も、柳も空もはっきりと輪郭を保つ必要はない。水面に照り映えるその一瞬の光のまぶしさ、リフレクションこそ、モネがこの作品の中に描こうとしたと思えるのだ。モネにとってのモチーフは、睡蓮の連作において、睡蓮の池→睡蓮の咲く水面→水面の反映へと推移していったのである。このモチーフの変遷そのものが観る者の心を捉えて話さないストーリーとなり、モネという芸術家が生涯をかけて追い求めたものを観る者も一緒に追体験できる感動があると考える。特に、白内障の影響からか、モネの描く睡蓮の絵に赤が多様され色も大変な厚塗りとなった時期があった。同じジヴェルニーの日本橋と睡蓮の池が描かれているとは思えないほど、赤が突出した絵画となった。しかし、視力を病んだ時期もまたモネは睡蓮の池を、その反映を描くことをやめなかったのだ。描くことへの、あるいは一瞬の光を追い求めるそのひたむきさは、赤一色の水面の絵に強く表れているようで観る者の胸を打つ。
加えて、我々日本人にとって、モネの絵は大変受け入れやすい特徴があるのだ。19世紀後半のフランスには開国した日本や万国博物展を通じて大量の浮世絵など日本の美術や思想が流入し、「ジャポニズム」が起こった。モネもこのジャポニズムの影響を受け、平面的な色彩の使い方に加え、隠喩の手法が導入されている。伝統的な日本絵画では余白を大切にし、モチーフの全体ではなく、あえて一部を描くことによって観る者に全体を想像させるという暗喩的表現方法がよく用いられる。睡蓮の池の水面に描かれている柳や空の雲の反映は、まさしく一部あるいは影でしかなく、その存在の全貌は示されずただ暗示されている。「間」を感じることができる、余韻を持たせた日本美術の伝統的表現法を、遠く海を隔てたモネの睡蓮の絵に見出すことに、日本人の一人として強くノスタルジーを感じるのだ。西洋美術史の巨人の作品でありながら、日本人の我々にとって、大変近づきやすく、共鳴しやすい絵画であると考える。この作品にはすべてが描かれていないからこそ、観る者が想像の翼をはばたかせる自由がある。この作品を見て、池の深み、空の高み、睡蓮群の広がり、柳の枝の枝垂れ具合を感じることができる。反映だけが描かれているからこそ、観る者はイマジネーションを膨らませることができるのだ。観る者の心の中に、作品の解釈を、解答(それは観る者によって幾通りもの正解があるだろう)を置いた。絵の表面だけではない。モネのその作品の生み出すもの、与える印象、イメージそのものに大きな余白と自由を置いた。それこそ、モネの作品の素晴らしさなのだ。
(2004年5月「マルモッタン美術館展」にて鑑賞)
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